June 30, 2015

『絶歌』第一部

一読してわかるのは、書かれてないことが多すぎるってこと。犯行声明文など事件の核心とも思われるような部分もまるっと省略してたりするし、数え切れないほどあった前兆行動にもほとんど言及してない。えーと……猫殺しくらい?
こういったことは資料に当たればすぐにわかるわけで、本人としては隠しているつもりもないのかも知れないけれど、ともかくここには何かしらの意図があったと考えるべきだろう。
で、その意図は何かといろいろ考えてみたところ、書こうとした物語にそぐわないため割愛した、と見るのが妥当だという結論に達した。文中で物語を書きたかったと明言してるわけだし、特に無理な結論ではない。
現実は物語とは違い辻褄の合わないものなので、余さずありのまま書くとなるとどうしても不都合が出てくる。こういうのは触れずにおくに限る。ただ、自己分析の深化と解釈の変更ということで自分の供述に関する部分についてはがんがん改変できる。それは自分語りも多くなろうってなもんだ。

 これまで事件の原因については少年Aの生い立ちや環境要因、精神分析的解釈が色々と主張されたりしてきた。A自身もそういう方面のことを勉強した節が見受けられる。けど、A本人の意志というものについては長い間心の闇(ブラックボックス)として見過ごされてきたし、本人もあまり気にしていなかったように思われる。何せ人より共感能力が低い。反省は行為(殺した)とその結果(死んだ)という対象に限られていて、言ってしまえば表層的なものに留まっていたわけだ。でもそれだけではちょっとうまいこといかなくなってきたもんだから、もっと根本的に自分の罪というものを捉え直そうと決めた三十歳。思春期の黒歴史なんて、いやあ自分でもどうしてあんなことしたのかわかんないっすねー、というのが普通の感覚だし、Aにとっても多分そんな感じだったと思われる。そんなことを言ってるわけにもいかないものだから、適当な物語を作り上げてこれを解決しようとした。物語の文脈で一つ一つの行動の意味は書き換えられ、行き当たりばったりの犯罪は意志と実存を賭けた一大事業へと変貌する。偶然の暴力から必然の殺人へ。いわゆる運命化というやつだ。
こうして元少年Aは謎に包まれていた少年Aの犯行の動機というものを明るみの下へ晒け出すことに成功した。そんなものは元から存在していなかったわけだけど、犯した罪の責任を自分のものとして感じるためには些細なことである。