August 24, 2016

劇場版『ハーモニー』

 原作の小説も大して面白いわけではないし、映画になると聞いてもそこまで期待もしていなかった。予告を見てもまったく良い印象がない。そんなわけで今回、つまらない映画を「ひでー」とか言って笑いながら見よう、という腹づもりだった。
 だが、そのつまらなさは想像をはるかに凌ぐものであった。まさに驚愕。見終えた直後は、二時間もある作品を完成させて偉い、というくらいしか褒める言葉も思い浮かばず(今ではそんなことはない)、何でも面白がることをモットーとする僕への挑戦かとも思わせるほどのものだ。

 何といってもまずは脚本。どんな映画にも何かしら魅力的な部分はあるものだし、実際あったのだけど、そうしたところをすべて塗りつぶすほどの力がこの脚本にはあった。本当にすごい。
 恋愛ドラマ的解釈については好き嫌いの分かれるところだろうけど、どうせやるのなら振り切るべきだったと思う。恋する人間が設定を長々と語っていてはいけない。

 本作品のプロデューサーの名が脚本としてクレジットされている。おそらくは上がってきた脚本にあちこち口を挟み続けた結果のこの名義なのだろう。脚本のあまりの出来の悪さに経歴に傷のつくことを恐れた担当者が辞退を申し出たとも考えられるが、これは少々意地の悪い見方に違いない。
 このプロデューサーは確か、単なるオタク向け作品ではなく一般の観客を意識したアニメ作りを標榜していたはずで、欠陥と見える部分の多くもそのための配慮だと考えれば腑に落ちるものだ。一般の観客を何だと思ってるんだ、という良い見本である。

 時間も予算も人員も不足する中で、上がってきた脚本がこれでは4℃もとんだ貧乏籤を掴まされたものだ。凝った絵作りや丁寧な作り込みをしている様子も窺えて、そこここに見られるやっつけ仕事感というのも苦闘の痕跡とも受け取れる。もったいない気もするが、考えようによってはこれはこれで味わい深い。
 
 といった風に色々と考えてみたところ、初見時に感じたつまらなさというのも、それほど深刻なものというわけではないように思えてきた。原作を読んでいなければ、それなりに楽しめたのかも知れない。次からは「ひでー」とか言いながら笑って見られそうだ。何事も考えてみるものだ。

 あとはまあ完璧に個人的な好みに基づく感想になるけど、キャラクターやコスチューム、メカニックなどのデザインが見ていて結構つらかった。〈大災禍(だいさいか)〉を経て成立した、現代とは異なる価値体系で動く近未来社会も、原作の良さを活かしきれていなかったように思う。場合によっては怒っても良いかな、といったところ。ドックアイコンに指で触れて操作するARは良かったですね。


 書いてる内にふと思ったのだけど、大量の説明台詞、恋愛ドラマへの落とし込み、頓珍漢な未来社会の描写などの、いわゆる「一般の観客」を想定した様々な配慮というものは、主人公らが作中で嫌悪していた「優しい社会」と同質のものなのではないだろうか。そうだとすると、この『ハーモニー』という作品は単なる映像作品ではなく、彼女らの感じていた息苦しさを追体験させるというコンセプトから制作されたクリティカルな作品であるということが考えられはしないし無理があるな。