January 02, 2012

ロックンロールとセンチメンタリティ

 聴くだけで特定の情動を喚起する音楽は凄い。でも、自分の感情をわざわざ引っ掻き回されるがままにしておくってのは、あまりいい気持ちがしない。

 ロックンロールを聴きながら歩いていたら、ギターの音でお正月特有の感傷的な気分が増幅された。感傷というのはなんともアイロニーだ。僕らは普通、気晴らしのために音楽を聴くわけだけど、気晴らしのために感傷的になるというのも、考えてみれば変な話ではある。

 前から思っていたんだけど、ロックンロールの本質はセンチメンタリティなんじゃないんだろうか。センチメンタルはロックンロールの一要素に過ぎないのではなく、むしろロックンロールがセンチメンタリティの表現態だったというわけだ。ロックンロールってセンチメンタルって意味なんじゃないかな。
 にこにこしたおじさんによるオールディーズからは、ロックンロールなんて感情は湧かない。でも、かつてそれが本物のロックンロールであったと知りながら、それが今ではすっかり失われているという状況は、センチメンタルという意味で激しくロックンロールだろう。
 
 我ながら、これはいいロックンロール解釈だと喜んでいたが、恣意的な矮小化だとしてロックンローラーに総括されそう。センチメンタルすべてがロックンロールだということにもなりかねない。いよいよ人との会話が成立しない。成立したとして、あまり嬉しくない。