January 31, 2012

言いません

佐藤友哉は「自身の身体と戦っている」のだと作品の中で言う。どこからともなく湧き出る衝動を、それを閉じ込めようとする身体から発散させる戦いである。この戦いに勝つということは、衝動が現象を通じて他者に認識されるということだ。
この戦いの勝利とは、精神の解放なのかも知れない。それは恐らく、我々が安息の時を手に入れ、表現をやめる時であるだろう。しかし、我々がこの戦いに勝利することは決してない。生きる事自体、敗北の系譜なのである。戦いは一生続くだろう。
僕はちゃんと戦えているのか、僕はちゃんと戦えていたのか。佐藤の作品を見て思う。
彼は、彼の身体は、自在に語り尽くしているように見える。それでもまだ語るべき事があるという事実は、どれほど年齢を重ね知識を蓄えたとしても、表現への欲求に囚われる人の業の深さを感じさせる。知識も語るべき思想も持たない自分が、一丁前に声を荒げて語りたがろうとしている事実を恥ずかしくも感じる。それでも僕は、「文章を書く」という方法しか知らなかったのだ。
恐らく文章を書くという手段は、表現として最も手軽なものだ。しかしそれは、制度化され、教育によって流し込まれてきた記号としての言葉を、ただ惰性に従って書き連ねていたに過ぎない。僕はもっとストイックに戦う事が出来るのかも知れない。そしてそれは、自分が今まで本当に戦ってはいなかったという事でもある。