December 01, 2015

ダンガンロンパ十神(上)がとても笑えるという話

 佐藤友哉作品では、打ちひしがれた野心と挫折した魂の持ち主が主人公兼語り手として据えられる場合が多くあります。読者は、主人公と作者たる佐藤友哉とを半ば同一視し、まあつまり私小説的に読まれる傾向が強いわけなんですが、今回もまたそんな語り手の登場です。

 才能を信じ、才能に憧れながら、才能に恵まれず、そんなこんなで才能コンプレックスに苛まれ、今では田舎でモグラのように引き篭もり、希望から目を背ける生活を送っている「僕」。いつものというかいかにもな「オレたちのユヤタン」って感じがプンプンします。
 例によって謎の美少女との邂逅を経て、不可解な事件に巻き込まれる「僕」……という、お定まりのこの展開ほど白けさせるものはありませんね、誰か改善してくれないと。
 二人の前に立ち塞がり、『世界密室化計画』の名の下に連続殺人鬼や古今のミステリ小説を模倣しながらじゃんじゃん人を殺して回っているのが、希望ヶ峰学園付属中学校ミステリー研究会。そうです、これはダンガンロンパスピンオフだったのです。
 若さゆえの暴走か、密室殺人に悦びを覚える変態どもだけど、「僕」からしてみると、そうしたアピールに余念のないところが才能ゼロ人間の才能ゼロたる所以なのだそうです。人の才能をああだこうだと論評する才能ゼロ人間の彼らは、佐藤友哉自身の読者層に近しいものを感じざるを得ません。だって、作者を悪し様に罵るのが好きですからね、佐藤友哉ファンという人達は。同じく才能ゼロ人間である「僕」は、こうした豚の悪口にひどく敏感なので、当然怒りをぶちまけますが、相手には通じません。ジェネレーションギャップでしょうか。
 それから何やら色々あって、「僕」が己の無力さに茫然としていると、再び現れたミステリー研究会のメンバーが、絶望への招待状を差し出します。お前の絶望が見てみたい! のだそうです。この場合、構造としては「昔のように暗黒青春物語(あるいはその続き)を書いてよユヤタン!」と作者のファンが懇願するのと同値と言えましょう。砕けて言うと「鏡家サーガ書けやゴルァ!」というやつです。しかし、もうすぐ干支も三巡を迎えるいい大人の「僕」は、絶望を拒否することを選び、ベストエンディングを求め奔走します。さすがパパタン、毎日の幼稚園の送り迎えは伊達じゃありません。
 ラストでついに「僕」は自ら封印していた記憶と人格を覚醒させることになるんですが、なんとその正体は、才能の塊であると同時に〈鏡家サーガ〉を引き継いだ存在、その名も元『超高校級の殺し屋』大槻涼彦だったのです! ベストエンディングどこ行った。

「言葉もありませんってか。ケッコーケッコー。あのときのオレ、っていうか『僕』という存在は、ぜんぶ嘘っぱち。もっともらしく聞こえた『僕』の苦悩や鬱屈は、オレが三分くらいで考えたインスタントなものにすぎなかったわけ。『僕』にイラついたやつも、『僕』に同情したやつも、『僕』に注文つけたやつも、ハ〜イご苦労様。お疲れちゃーん。楽しかったぁ? それより自分の人生をがんばれっつ〜の。ドハハハハハハハハハハ!」
 暗黒青春小説〈鏡家サーガ〉の関係者が鮮やかにキメる絶望のちゃぶ台返し。そして「僕」もとい大槻は、ナイフでミス研をぶった斬ります。佐藤先生煽りすぎでしょ。笑うでしょ。