今年観たのは、デンデラとけいおん!の二作。僕としては多く感じるのだけれども、多いか少ないかと言ったら普通くらいだろう。両方とも、まさか観に行く事になるとは思ってなかった。
映画の面白さというものが判りかねるので、何を言っても、映画好きには笑われたり怒られたりするだろうが、こればかりは仕方ない。そんな事よりまず、映画館まで二度も足を運んだ事を褒めて貰いたい。
デンデラ
口減らしの為に村から捨てられた老婆達が絶望に抗う為に作り上げたデンデラという共同体が、クマという圧倒的な暴力に蹂躙され崩壊してゆく中、望んだわけでもないのにデンデラに投げ込まれてしまった一人の老婆が、個としての意志を獲得する話。
それまでは村民Aという役を何の疑問も抱かないまま生きてきたお婆ちゃんが、自らの生きる意味といったそんな感じのものを主体的に作り上げ引き受けるに至るあれやこれやを描いたみたいな、そんな文学的な映画だったはず。最後の爆発はいらないと思った。
けいおん!
女子高生五人組がいちゃいちゃしながらロンドンを観光して、背伸びをせず自分らしくあることの大事さと、同じ時間を過ごしてきた友達の大切さに気付く話。いちゃいちゃ八割友情二割といった配分で、ちゃっちゃと話を進めて貰いたかったところだけれど、しかしそういう映画なんだと思えば、文句を付けるべきところでもないのかもしれない。
頭を悩ます難解な展開もなく、シンプルでわかりやすいいい話である。何回も観る人のためでもあるんだろう。ユーザーフレンドリーである。
中高年のおばさまばかりのデンデラ、若い男性中心のけいおん!という客層の対照的なところなども興味深かった。この二つの映画作品を比較してみるのも面白そうだが、忙しい上に面倒臭い。誰かやればいいとは思う。
来年はどんな心躍る映画を観られるのか、今から楽しみである。
December 28, 2011
November 18, 2011
BJM
あまりバンドのバイオグラフィなどには興味を持たないのだが、アルバム十五枚がiTunesライブラリに入っているというのに、いつどこのバンドであるかも知らないというのは、さすがにちょっと不健全なのではないかと僕は考えた。
こんな時にインターネットは便利なもので、洋楽に詳しい知り合いを持たない僕ですら、家にいながら即座にあらゆるバンドの情報を得る事が出来るのであるが、ウィキペディアには記事がなかった。この国には文化というものが存在しないのだろうか。国内盤のライナーに書かれた解説もろくに読まないような僕に、世のロックファンの怠慢を裁く資格はない。そもそも、現代はグーグル先生他、翻訳のエキスパートがいたる所で暇とリソースを持て余しているわけで、日本語情報の不足を嘆く必要はどこにもない。
ざっと見た感じ、六十年代サイケデリアだとかインディ・ロックだとかオルタナティヴだとか、そんな専門的で難しい用語を使われてもよく判らないのだけれども、どうやらそういう感じらしい。まあ、バンド名を見りゃ判る。
一体何を調べようとしていたのか判らなくなってきた。簡単に言えば、アルバムを聴ければ他はどうだっていいわけだ、もっともな話。
こんな時にインターネットは便利なもので、洋楽に詳しい知り合いを持たない僕ですら、家にいながら即座にあらゆるバンドの情報を得る事が出来るのであるが、ウィキペディアには記事がなかった。この国には文化というものが存在しないのだろうか。国内盤のライナーに書かれた解説もろくに読まないような僕に、世のロックファンの怠慢を裁く資格はない。そもそも、現代はグーグル先生他、翻訳のエキスパートがいたる所で暇とリソースを持て余しているわけで、日本語情報の不足を嘆く必要はどこにもない。
ざっと見た感じ、六十年代サイケデリアだとかインディ・ロックだとかオルタナティヴだとか、そんな専門的で難しい用語を使われてもよく判らないのだけれども、どうやらそういう感じらしい。まあ、バンド名を見りゃ判る。
一体何を調べようとしていたのか判らなくなってきた。簡単に言えば、アルバムを聴ければ他はどうだっていいわけだ、もっともな話。
November 12, 2011
ランゲージ
もう言っとる事が全然意味判らんねこれ。何言ってるんすか? みたいな感じ。
辻褄が合わんし、会話も出来ん。
読むのも聞くのも変わりなく、ともかく意味の解析に手間取り、そっちの処理に追われて満足な返答も出来ない。
このままではいけない、取り戻せゲシュタルト! 全部ツイッターが悪いんや!
という風にして僕はブログの再開を心に固く誓い、取り敢えずラノベでも読んでリハビリに励もうとブックオフへ向かった。
辻褄が合わんし、会話も出来ん。
読むのも聞くのも変わりなく、ともかく意味の解析に手間取り、そっちの処理に追われて満足な返答も出来ない。
このままではいけない、取り戻せゲシュタルト! 全部ツイッターが悪いんや!
という風にして僕はブログの再開を心に固く誓い、取り敢えずラノベでも読んでリハビリに励もうとブックオフへ向かった。
July 23, 2011
パソコン
そろそろパソコンを手に入れておかなければいけない。iOSのアップデートもあるし、iPhoneにもしもの事があった場合にも、現状レストアが出来ないとあっては、不安で寝付きも悪い。ブログ書くのも面倒臭いったらないもんだ。
でも高いしなあ、かつかつだしなあ、かといってウィンドウズマシンとか買ってもストレスが溜まって血管切れるからなあ、などとくよくよしているわけだ。
中古もそれほど安くはないし、長く使うものである。新しく買うとして、ポリカーボネートMacBookが消えてしまった今、選択肢はMBAかMBPの二つに絞られてしまう。いっそ両方買えれば問題はないのだがそうもいかない。
新しいパソコンを手に入れれば、まずはiTunesのライブラリをどうするかを決めておく必要がある。
タイムマシンを使って丸々復旧するというのも考えてみたが、ビットレートが128だの192だの256だの312だのと混在している状態というのは、どうにも気持ち悪い。といって、一からCDを読み込むというのは途方もない作業だ。持っている曲は多いにしても、履歴などを辿ってみると、頻繁に聴く曲はそう多いわけでもない。取り込むのは最小限の楽曲に留め、ロスレスなり何なりと高音質なフォーマットにしておくのもいいかも知れないと思う。アルバムで二十~五十枚くらい入れておけば、大体不都合はないように思う。容量の小さいMBAでも充分賄えるというわけだ。
妄想に終わりそうで気が滅入る。
でも高いしなあ、かつかつだしなあ、かといってウィンドウズマシンとか買ってもストレスが溜まって血管切れるからなあ、などとくよくよしているわけだ。
中古もそれほど安くはないし、長く使うものである。新しく買うとして、ポリカーボネートMacBookが消えてしまった今、選択肢はMBAかMBPの二つに絞られてしまう。いっそ両方買えれば問題はないのだがそうもいかない。
新しいパソコンを手に入れれば、まずはiTunesのライブラリをどうするかを決めておく必要がある。
タイムマシンを使って丸々復旧するというのも考えてみたが、ビットレートが128だの192だの256だの312だのと混在している状態というのは、どうにも気持ち悪い。といって、一からCDを読み込むというのは途方もない作業だ。持っている曲は多いにしても、履歴などを辿ってみると、頻繁に聴く曲はそう多いわけでもない。取り込むのは最小限の楽曲に留め、ロスレスなり何なりと高音質なフォーマットにしておくのもいいかも知れないと思う。アルバムで二十~五十枚くらい入れておけば、大体不都合はないように思う。容量の小さいMBAでも充分賄えるというわけだ。
妄想に終わりそうで気が滅入る。
July 16, 2011
0715
書きながら考えるのがよろしくない。考えてから書くべきだ。
書くことはそのまま考えることで、書くことによってはじめて考えることが出来る、とも言える。本当に考えなくなった。
考えなくても間違いを犯さないのなら考える必要はない。考える事によって間違いが起こるのだから、むしろ考えない方がより正しい。でも、考えることは意思によってはとめられない。正しい方向にでも、間違った方向にでも、独りでに勝手に進んでいくものだ。何も考えずにいればなおさらだ。
意志の力を過信してはならない。覚悟の存在を認めてはならない。そんなものでどうにかなるような問題は、初めから問題ですらなかったのだ。結果として得られた陶酔を要因と考えるべきではない。
書くことはそのまま考えることで、書くことによってはじめて考えることが出来る、とも言える。本当に考えなくなった。
考えなくても間違いを犯さないのなら考える必要はない。考える事によって間違いが起こるのだから、むしろ考えない方がより正しい。でも、考えることは意思によってはとめられない。正しい方向にでも、間違った方向にでも、独りでに勝手に進んでいくものだ。何も考えずにいればなおさらだ。
意志の力を過信してはならない。覚悟の存在を認めてはならない。そんなものでどうにかなるような問題は、初めから問題ですらなかったのだ。結果として得られた陶酔を要因と考えるべきではない。
July 01, 2011
長文に挑戦
ここのところさっぱり頭を使っておらず、考えることに困難を覚えるようになってきた。元からそうだったのかも知れないと今思ったのだが、このようにあっちらこっちらと考えが飛び、何を考えても結論まで辿り着けない。特に困りはしないのだが、少々みっともなくはある。
そういうわけで、ある程度一貫性のある文を書くよう努めることにより、構成力、論理力の向上を図ろうと思った。
そう思ったのだが飽きてきた。
まだ原稿用紙半分にも満たないというのにこの有様である。
構成的、論理的な文を書く努力は、集中力や持続力を高めることにも有効に違いない。
あとはなんだったか……
まあ、あんま妥協したものを書かないように気を付けたい。なんか定型文とか慣用句みたいなのを安易に使ったり、言葉を適当に選んだりするのはよくないし、ちゃんと語句を使うことを学ばなければならないような気もする。
気負って進めば一字も書けなくなること請け合いなので、難しく考えずに続けていきたい。
そういうわけで、ある程度一貫性のある文を書くよう努めることにより、構成力、論理力の向上を図ろうと思った。
そう思ったのだが飽きてきた。
まだ原稿用紙半分にも満たないというのにこの有様である。
構成的、論理的な文を書く努力は、集中力や持続力を高めることにも有効に違いない。
あとはなんだったか……
まあ、あんま妥協したものを書かないように気を付けたい。なんか定型文とか慣用句みたいなのを安易に使ったり、言葉を適当に選んだりするのはよくないし、ちゃんと語句を使うことを学ばなければならないような気もする。
気負って進めば一字も書けなくなること請け合いなので、難しく考えずに続けていきたい。
April 12, 2011
December 08, 2010
フューチャー
ウィキペディアに、The Futureheadsのギターが1982年生まれだとあった。他のメンバーについては判らない。判ったことは、ヴォーカルとドラムが兄弟らしいということくらい。言われてみると、そうかと納得出来ないこともない。
October 31, 2010
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